作品情報
1992年に勃発したボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争が泥沼化するなか、セルビア人勢力に包囲された東部ボスニアの町・スレブレニツァは、国際連合によって攻撃してはならない「安全地帯」に指定された。現地には国連保護軍も派遣されたが、完全に孤立したスレブレニツァではあらゆる物資が欠乏し、状況は悪化の一途をたどっていた。そして1995年7月11日、ラトコ・ムラディッチ将軍が率いるセルビア人勢力のスルプスカ共和国軍が、国連の警告を無視してスレブレニツァへの侵攻を開始したことで、2万人以上市民が国連の安全地帯に押し寄せてしまう。国連で通訳として働く女性アイダ(ヤスナ・ジュリチッチ)の視点から、その様子が映し出されていく……。
『アイダよ、何処へ?』レビュー
第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最悪の虐殺とされる「スレブレニツァの虐殺」をご存じだろうか。
1992年3月にボスニア・ヘルツェゴヴィナがユーゴスラヴィア連邦からの独立を宣言したことで勃発したボスニア紛争によって、かつては同じ地で生活を共にしていたセルビア人とイスラム教徒のボシュニャク人が分裂。セルビア軍はボシャニャク人の住む地を攻撃し、住民を殺し始め、そんな悲惨で理不尽な紛争は1995年12月まで続き、約20万人の死者と200万人以上の難民を出した。
その中でも、最も衝撃的だったのが、国連保護軍のオランダ部隊が介入したにも関わらず、95年7月に起きてしまった、約8000人もの市民が無残に射殺されたスレブレニツァの虐殺だ。
そんなスレブレニツァの虐殺を、真正面から描いた『アイダよ、何処へ』は第93回アカデミー賞において国際長編映画賞にノミネートされた。
ボスニア紛争をリアルタイムに経験した女性監督の挑戦と使命
今作の監督を務めるヤスミラ・ジュバニッチは、1974年にサラエボで生まれ、多感な青春時代にボスニア紛争を経験している。今までにも、サラエボを舞台とした『サラエボの花』(2006)『サラエボ 希望の街角』(2010)といった作品を手掛けてきており、どちらの作品でもボスニア紛争を扱ってきた。
ヤスミラは、ボスニア紛争そのものではなく、紛争後にサラエボに生きる人々の姿を映し出した人間ドラマを主に描いていた。
その理由としては、ボスニアに生きる人々の記憶に残り続けている紛争のトラウマを浄化することが、自身の使命だと確信していたからだ。
その一方で、いつかは描かなければならないという気持ちも強かった。紛争当時、サラエボとスレブレニツァでは、危機的状況にさほど変わりはなく、セルビアで起きていてもおかしくなかっただけに、虐殺が行われたのがサラエボであったとしたら、ヤスミラは生きていなかったかもしれない。そういった想いからも、この事実を世界に伝えなくてはならないと決意する。
長年のリサーチ、生存者の取材を経て、準備が整ったといっても、すんなりと行くわけもなかった。虐殺をストレート描くことには、いくつかの障害も発生。
ボスニアでは、映画が年に1本作られるかどうかといった状況であり、「映画業界」というものが、そもそも存在していないことから、資金調達の面で厳しいことや、未だに虐殺の事実を認めていない右派の政治家による圧力がかかる心配もあるなど、製作には難航を極めたが、ヨーロッパ9か国(ボスニア、ヘルツェゴビナ、オーストリア、ルーマニア、オランダ、ドイツ、ポーランド、フランス、ノルウェー)の共同製作とすることで、長年の歳月をかけて完成させることができたのだ。
主人公アイダの行動は、人間の本質そのもの
冒頭から只ならぬ緊張感を醸し出しているのは、『COLD WAR あの歌、2つの心』(2018)でも冷戦下の緊張感を見事に表現した、ヤロスワフ・カミンスキが編集として参加していることが要因として大きい。
ヤスミラの作品では、初めてとなる戦車や兵士を登場させ、今までのテイストとは全く異なる、戦争色の強い作品としていることからも、その再現度の高さと緊張感によって、幼少期にボスニア紛争を経験した女性エキストラ2人が失神したほど。
今作で描かれるのは、政治的な駆け引きではない。ひとりの女性の目線から描かれた虐殺に至るまでの緊張感と絶望感だ。
アイダは国連で働く通訳でもあることから、その立場を利用し、自分の家族を国連の施設に匿ってもらうことに成功するが、セルビア人と国連との仲介的立場であるからこそ、その不穏な動きを敏感に感じ、全ての市民を助けることは不可能と悟っていく。
最後の抵抗として「自分の家族だけは、助けてほしい」と国連基地内を駆けずり回る様子によって、偽善的でもヒロイックでもない、極限の状況下での人間の本性が浮き彫りになっていく。
しかし、手を放すと殺されてしまう息子や夫をどうしても助けたいという母であり、妻の姿を誰が攻められるだろうか……。
出演 ヤスナ・ジュリチッチ、イズディン・バイロヴィッチ、ボリス・レアー
ディノ・バイロヴィッチ、ヨハン・ヘルデンベルグ、レイモント・ティリ
脚本・監督 ヤスミラ・ジュバニッチ
製作 ダミール・イブラヒモヴィッチ、ヤスミラ・ジュバニッチ
編集 ヤロスワフ・カミンスキ
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ/ オーストリア/ルーマニア/ オランダ/ドイツ/ ポーランド/ フランス/ノルウェー /トルコ合作映画|ボスニア語・セルビア語・英語/2020年|101分|原題:Quo Vadis, Aida ?|日本語字幕:吉川美奈子 提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
2021年9月17日(金)よりBunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショ
点数 85
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