作品情報
1960年代のインド。住民たちに愛される公園の取り壊し計画が持ち上がる中、アーチーと仲間たちは恋愛、友情、そしてリバーデイルの未来という難問に立ち向かう。
『アーチーズ』レビュー
インドのコミックやヒーローは流通基盤の関係(参考:『すずめの戸締まり』『BLUE GIANT』も人気? インドエンタメ界に日本アニメ流行の兆し)もあって、元ネタにアメコミヒーローがあるだけに、実写化されるとアメコミのパロディみたいになってしまうのは仕方ないことなのだが、今作『アーチーズ』は、原作であるアメコミを映画化しているという、オフィシャルには今までになった、アメコミをインド映画化したもの。
「アーチーズ」という作品自体、自由度が高く、同じ原作をドラマ化した「リバーデイル」では、ぶっ飛びすぎて、最終的には天使や悪魔、魔法、タイムトラベル、マルチバースと収拾がつかなくなってしまったわけだが、それをふまえて観ると、かなり斬新な設定にはなっているものの、大筋部分では原作に近しいものとなっている。
「リバーデイル」シーズン6の並行世界”リバーベイル”のように、マルチバースのひとつが今作だと思うと、それはそれで納得できてしまうが、時間を操るタバサ(エリン・ウェストブルック)や並行世界移動を身に付けたジャグヘッド(コール・スプラウス)がゲスト出演するなどといったトリッキーな試みは当然ながらなかった。もしそれをやっていたら今年一番の作品になったのだが……。
ヴェロニカが引っ越してきて、アーチーとベティの好きだけど言い出せない微妙な距離の関係性に亀裂が入り、三角関係、四角関係……となっていく、「リバーデイル」の場合は、それをより誇張してセックス&バイオレンスに描いていたが、今作はそういった基礎となる設定に大きな遊びはなく、「アーチーズ」そもそもの構図はそのまま活かされている。そのため基本的に立ち返り、アーチーがどちらを選ぶかというシンプル構造になっているし、原作を知っているとレジーとヴェロニカの距離感にも発見があるはずだ。
「アーチーズ」というコミック自体、読者がベティ派なのか、ヴェロニカ派なのかを選んで感情移入していく構造となっていることから、ベティとヴェロニのそれぞれと結ばれるパターンが存在していたりもする。
「The O.C.」のなかでもサマーとセスが唯一の共通話題として「アーチーズ」はベティ派かヴェロニカ派かというものが扱われていたように、アメリカでは国民的青春コミックといえる。
そのためアーチーは優柔不断で流されやすく、少し筋肉バカ的要素もあったりして、アメリカン・ティーンの象徴のような存在。その点は「リバーデイル」でも活かされていたのだが、今作においても、そういったアーチーの優柔不断さはそのまま活かされているため、「アーチーズ」というコミックを知らなかったり、インド映画を観ようと思って観た人にとっては、なかなか入り込めない部分ではある。
おそらく今作のターゲットとしてはインドのユーザーを狙ってはいないのだろう。Netflixは他の配信サービスに比べても、自国ユーザーというよりも他国のユーザーに対して、インドエンタメをアピールする傾向が強い。世界のユーザーには、インドを舞台にして、インドのクリエイターがここまでのものを仕上げてきたということは高い評価に繋がるに違いない。
少し尖った作品を制作してきたゾーヤー・アクタルが監督を務めるというだけあって、何かギミックが隠されているのかと思ってしまうのだが、あえてインドの奥に事情などの社会風刺的要素が入るといったものわけではなく、カジュアルな青春ムービーとして、物語もかなり王道なのだが、これを制作したということ自体が大きな功績ではないだろうか。
一方で『フットルース』や『グリース』といった70年代のアメリカン・ミュージカル色も強い。インドのクリエイターの多くがジョン・トラボルタやケヴィン・ベーコンから影響を受けている部分もあったりすることから、一周回って『グリース』っぽいものを作れるという環境が整った事実は、インドエンタメを大きくグローバル化に前進させたともいえるし、ある意味では原点回帰ともいえるだろう。
今まで短編などに少し出演した程度であったアミターブ・バッチャンの孫のアガスティア・ナヤンダやシャー・ルク・カーンの娘のスハナ・カーン、ジャンビィ・カプールの妹のクシ・カプール、そして今作において作中曲全体のメイン女性ボーカルを務めるアーティストのDot.(ドット)といった若手たちの本格的なデビュー作品となっていることからも、次世代スターの顔見世的作品となっていて、その点もアメリカやイギリスにおけるティーンムービー的側面を持ち合わせているといえるだろう。
アリジット・シンなどのボリウッドやベンガル語映画ではお馴染みのアーティストも参加していることはしているのだが、基本的にはテジャスとドットによる若手アーティストが中心となっていることからもインド映画を作る気はそもそもなく、アメリカ映画を作る勢いで制作されたことは音楽ひとつをとってみても強く感じられる。
細かいことを言うと、ジャグヘッドに少し違和感を感じる。ジャグヘッドというキャラクターはもちろん存在しているのだが、ジャグヘッドのキャラクター性と立ち位置が様々なキャラクターに分配されているため、肝心の本人の印象が薄く感じてしまうのは、ジャグヘッドというキャラクターを活かす点では難点。その分、アーチーに視点が中心しやすいというのもあるだろうが
そもそもがインドが舞台でファンタジー色が強いことから、細かい設定等はもちろん違ってくるものの、原作と同じキャラクターが多く登場する。エセルやレジー、ポップはもちろん、ジャグヘッドのペットのホットドッグさえも登場する。
「リバーデイル」では大活躍するというか、影の主人公ともいえるシェリルが雑に扱われていることやプッシーキャッツがいないことなど、「アーチーズ」と「リバーデイル」ファンには少し不満部分もあるし、何よりインド版「プッシーキャッツ」は観てみたかった……。
点数 84
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