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この映画語らせて!ズバッと評論!!『シャン・チー/テンリングスの伝説』ディズニーが中国市場と、どう向き合うかで今後の行く末が決まってくる!!

作品情報

アメリカ・サンフランシスコで平凡なホテルマンとして暮らすシャン・チー。
彼には、かつて父が率いる犯罪組織で最強の武術を身に付け、組織の後継者にる運命から逃げ出した秘密の過去があった。しかし、悪に染まった父が伝説の腕輪《テン・リングス》を操り世界を脅かす時、彼は宿命の敵となった父に立ち向かうことができるのか?

『シャン・チー/テンリングスの伝説』レビュー

MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)としても、マーベル映画としても、主人公がアジア系というのは今回が初めてとなるが、残念なことに世の中には間違った批判が出回ってしまっている。

それは、この作品を批評するにあたって、単に主人公がアジア系だから差別をしているという安易な考えから、「アジア系の差別はよくない」と、これまたズレた指摘がされてしまっていることだ。

「シャン・チー」というキャラクターが初登場した1973年は、空前のカンフーブーム。日本でも千葉真一の「殺人拳」シリーズや倉田保昭の『闘え!ドラゴン』(1974)などが便乗して作られていたように、アメリカでも多くのカンフー映画が輸入され、デヴィッド・キャラダイン主演で『燃えよ!カンフー』(1972)といったドラマも放送された。ちなみに2021年4月から女性版リメイクの放送が開始されている。

この流れはコミック業界でも起きていて、マーベルがカンフーブームの中でトレンドとして取り入れたのがシャン・チーである。モデルは当時人気だったブルース・リーであり、そもそものキャラクター構造がステレオタイプの塊のようなもの。

シャン・チーはコミックでも単独シリーズが出版され、「アベンジャーズ」のメンバーとして、活躍していた時期もあるが、比較的地味なキャラクターである。

キャプテン・アメリカやアイアンマンなど、メジャーキャラクターのバーターとして登場させてから、人気があれば単独映画化させるのが、今までの傾向である。近年においてはDisney+の存在によって、その動きというのは、急ピッチになりつつあるが、それでもシャン・チーと比べれば知名度の高い『シーハルク』や『ムーンナイト』といった作品が配信ドラマ枠だというのに、シャン・チーをいきなり単独映画デビューさせたのは、かなり冒険的であり、おそらく10年前ではできなかっただろう。

しかし、ディズニーにとっては、そうする必要があったのだ。

それは、ディズニーは中国市場からの利益と中国企業から出資を無視できないからである。そこで今作を公開して、中国のご機嫌を取る必要もあったのだが…問題が発生した。

今の中国は、経済発展やグローバル意識が強くなったことから、ステレオタイプなカンフーや武術のイメージからは脱却したいと考えていて、どちらかというと「唐人街探偵」シリーズからも感じられる通り、韓国同様にアイドル・ルックな外見的イメージを発信したいというのに、ステレオタイプフル回転なシャン・チーを世界に発信してしまったという問題だ。

カンフーだけに限らず、中国人は目が細いということがステレオタイプによるイメージだと思わず、自然に取り入れてしまっている。

中途半端な多様性は不本意な潜在的差別を生むことがこの作品で浮き彫りになっていると言ってもいいだろう。

ただ、製作側の立場から考えてみると難しい部分があるのは痛いほど伝わってくる。アジア人というのは、見た目が似ている。日本も中国も韓国も、見た目でどこの国の人かなんて判断できないし、グローバル化が進み、多文化になっている国ほど、今の姿を描くと、どこの国なのかがわからない。

例えば日本人のキャラクターをデザインしようとすると、侍や忍者、あるいは寿司職人かもしれないが、そういった映画や漫画で観たイメージが頭に浮かぶのは自然なことである。

これがステレオタイプとして定着している結果だ。

特にマーベルのようにキャラクターが年々、多くなっていっているシリーズでは、より差別化させる必要があり、その中で特徴を前に押し出そうとしていくとステレオタイプに向かってしまうのだ。

誤解しないでもらいたいのは、シャン・チーが悪いわけではなく、マーベルもディズニーも悪気があってやったわけではないのは大前提として、国際的取引きという側面から見た場合に、少し配慮が足らないということ。

中国人に対して「おっ!シャン・チー、カンフーやってよ!!」と言ったら喜ぶだろうか?

多様性というのが、あくまでその国の外側からの目線であり、単純にアジア人が主人公だからと喜ぶのは、直接的に影響してこない立場だから言えることのように思える。

そういった問題はさておいて、単純に作品としての質はどうかというと、冒険した割には、平均点なクオリティである。

単純にアクション映画としては楽しめる作品に仕上がっているのだが、監督の色がアジア系のヒーローというインパクトに押されてしまっているが残念でならない。

そもそも監督のデスティン・ダニエル・クレットンは、今まで『ガラスの城の約束』『黒い司法 0%からの奇跡』といった、アクションとは無縁の人間ドラマを描いてきた監督である。

ブラック・ウィドウ』(2021)の監督を務めたケイト・ショートランドの場合も同様ではあったが、擬似家族や限られたフィールドの中で構築された人間性という点においては、全体像としてアクション映画ではあったものの、テーマとして共通性を感じられた。

MCUの次回作『エターナルズ』(2021)のクロエ・ジャオも予告を観る限りでは、神秘的な画作りという点で共通性を感じられる。

ところが今作においては監督の色というのがあまり感じられなかった。

本来、得意であったはずの人間ドラマが非常にシンプルであっさりしていて、葛藤や心理描写が薄い。ドラマ性が薄いのは、アクション映画にとって、よくありがちなことではあるが、それであれば、アクション映画に精通した監督を選ぶべきだったし、アクションシーンや演出も『グリーン・デスティニー』(2000)やジャッキー・チェン、チャウ・シンチーなどの作品からヒントを得た部分が強く感じられて、モノマネ感がある。

他の作品と繋げるかどうかは、正直微妙なところ…何故かというと、今後の展開は中国との関係性が鍵になってくるからだ。

中国で公開される外国映画は、中国当局による検閲を突破しなければならないが今作と『エターナルズ』が検閲を突破できないといわれている。

『エターナルズ』に関しては、ステレオタイプが問題ではなく、監督のクロエ・ジャオが中国に対して批判的なコメントをしたことで『ノマドランド』も2021年4月公開だったものが急遽中止または延期になった問題の後を引いていることが原因だと思われるのに対して、今作の場合は、表現において、検閲を突破できない可能性が高いのだ。習近平に体系が似ていることが理由で「くまのプーさん」が中国で公開できないぐらいだから、外見的な問題も大いにあり得る。

今後、打開策が提示される可能性もあるが、近年では日本の人気ゲームを映画化した『モンスターハンター』も差別的なセリフがあったというだけで、公開中止に追い込まれ、過去にも理由が不明なまま2016年の『ゴーストバスターズ』のように公開されないという、近年の検閲トラブルや表現の不自由さにハリウッドは頭を悩ませている。

シャン・チーが他のMCU作品に登場している場合、それらも公開されない危険性がある。キャラクターとして存続させることで、シリーズが経済的危機に陥るとしたら…と考えると、今後のシリーズ展開はディズニーが中国市場、中国資本を頼りにしたいと考えている以上、現時点では非常に難しい。

中国忖度で登場させたはずが、中国からも嫌われている状況であるだけに、中国市場以外で、それを上回る成績をたたき出さない限り、登場させる意義もなくなってしまうのではないだろうか。

これだけに限らず、常に中国の顔色を伺うことでしか映画が作れないとなると、急激な中国離れが加速する可能性もある。

その場合、どこの国に出資してもらうかという問題にも直面していて、ハリウッドは解決しなければならない問題が山住状態なの

点数 72

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