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MCUが描き切れなかった取りこぼしを回収していくドラマシリーズの役割

MCUが描き切れなかった取りこぼしを回収していくドラマシリーズの役割

原作コミックやコンセプトアートからすでにネタバレはしていたものの、ミスリードではなく、ストレートに『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』にて登場を果たしたサム・ウィルソン版キャプテン・アメリカ。

スパイダーマン:ホームカミング』は一般人の視点、『マイティ・ソー』はファンタジー、そして『キャプテン・アメリカ』は国や政府といったように、MCUの中では、それぞれのキャラクターにそれぞれの描くべき役割があった。

とは言っても2、3時間の映画の中でそれを描くことは難しい。どうしても娯楽作としての側面が強く、エンターテイメント色が優先されてしまい、一般人が完全にモブ的な存在になってしまうのは仕方のないことではあった。

そこで投入されたのがNetflixで配信されていた『デアデビル』『ルーク・ケイジ』『アイアン・フィスト』などの作品や『エージェント・オブ・シールド』である。

当時、ディズニーとNetflixが業務提携していたこともあって、『アベンジャーズ』の後の世界観を反映させていた。描かれていたのは、ニューヨークでもヘルズキッチン周辺の物語が中心で、正に密かに暮らしていた能力者、ギャング、一般人への影響を描いていた。

そういった経緯もあって、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』では、Netflix組の登場も模索されていたのだ。

ところが実際に登場したのは、ブラックパンサーとスパイダーマンであった。

スパイダーマンは『スパイダーマン:ホームカミング』で正に、一般人への影響という視点が描かれ、同時に『アベンジャーズ』後の影響も描き、そこからヴィランが新たに誕生するという、Netflix組がしていたことを改めて行っていたのだ。

今となっては、この時点で既にディズニーは独自の動画配信サービスDisney+を企画しており、将来的にNetflix組が加わることは難しいと考えていたからこそ、同じ役割りをスパイダーマンに与えたのかもしれない。

作品が増え、キャラクターが増え、更に複雑化する世界観。そして『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』でのサノスの指パッチンによる影響によって、世界中が巻き込まれたを無視することはできず、様々な角度から描く必要が出てきてしまった。

やはりその筆頭となったのは、スパイダーマンであった。『アベンジャーズ/エンドゲーム』では、正にその後の世界への影響がダイレクトに描かれていた。

しかし、それだけで疑問点を回収するのは難しい。そこでドラマシリーズの役割がその取りこぼしを描くということだ。

新型コロナウイルスの影響で順番が逆になってしまい、先に配信された『ワンダ・ヴィジョン』も大きな役割りをもった作品ではあったが、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』が描いたことは非常に小さくて大きいことだった。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』でキャプテン・アメリカの象徴であるシールドが親友であるバッキーではなく、サムに渡されたのかということを全編を通して描いているのだ。

『アベンジャーズ/エンドゲーム』のその後の世界は、今までの概念とは全く違った世界となってしまっている。パワーバランスとしては、バッキーに渡してもよかったとは思うが、サムに渡した理由は、新たな概念に適応できる人物である必要があったからだ。

シールドを渡したことによってサムが悩み、葛藤し、一度はシールドを手放すところまでも予測していたからこそ、サポートとしてバッキーをサムに付かせていたということだ。

シールドをバッキーに渡さなかったことも、バッキーをサポートとしての役割を果たせる人物であると信用していたからなのだ。

キャプテン・アメリカはアメリカの象徴、シールドはそのシンボルという重圧の中で更に新たな概念に適応できるには、様々な立場が理解できる人物である必要がある。それは黒人として差別を受けながらもアメリカという国のために命を捧げてきた人物であるサムにふさわしいのだ。

それは映画本編では、アメリカの抱える人種問題や繊細な部分に触れるため、なかなか尺的にも描くことができないテーマであった。

アメコミの場合、様々なキャラクターのスピンオフ作品や別視点から描いた物語が常に描かれ続けている。常に時代や世論を反映させてきた。

アメコミでも特にマーベルとDCの作品は、昔からアフターフォローを欠かさないものであっただけに、映画として1本の作品にまとめてしまう場合、大味なヒーロー映画となってしまっていたところが、良くも悪くも買収劇や動画配信サービスの普及によって、コミックと同じことができる環境になってきたということだ。

DCの場合も『フラッシュ』『アロー』『スーパーガール』といった「アローバース」といわれるドラマシリーズが好評であり、今も続いているがDCエクステンデッドユニバースとは、一線を置いていて、別のユニバースの話として区分されていたが、DCコミックスの親会社であるワーナーメディアが展開する動画配信サービスHBO Maxの登場によって、DCの場合も取りこぼしを回収できる環境が整ってはており、実際に『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』のスピンオフや映画に直結するドラマシリーズ企画を発表している。

今後は配信サービスをいかに活用して、いかにユニバースのドラマ性を濃くしていけるかというのが課題である。

数十年に渡って、常に刺激し合ってきたマーベルとDCだけに、対抗意識がコミック界同様に、映画・ドラマ界をさらに活性化させてくれることを期待したいところだ。

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