2021年4月26日に開催された第93回アカデミー賞授賞式。2020年は新型コロナの影響で劇場公開が難しかった状況からも、開催自体が危ぶまれていたが、例年より2カ月遅れての開催に踏み切った。
前哨戦といわれるゴールデン・グローブ賞などの映画賞がリモート開催された中で、会場をドルビーシアターではなく、間隔を空けやすいということからユニオン・ステーションに変更することで授賞式も対面で無事に行うことができた。
ノミネート作品という点では、仕方なく配信にシフトした作品も多かったことで、全体的に配信作品の割合が多く、いわゆる超大作は、ほとんどが延期になってしまったため、地味な作品が多かった。
そうは言っても、開催すらも危ぶまれただけに、映画界最大の賞のひとつであるアカデミー賞が開催できたことは喜ばしいことではある。
アメリカならず全世界目からの注目が集まっていたが、結果的には、全米の視聴率は過去最低の985万人、第92回の2360万人が過去最低であったのにも関わらず、さらに58%も下げての記録更新となってしまった。
ワクチンの普及によって、映画館の営業が再開され、公開延期が続いていた作品が徐々に公開されるようになっている。
『イン・ザ・ハイツ』や『ウエストサイド・ストーリー』『リスペクト』といったエンターテイメント性が強く、作品としても評価されやすいミュージカル作品が待機している。
こんなご時世だからこそ、来年は華やかな演出で視聴率や注目度、そして冷え切ったエンタメ業界を回復してもらいたいところだ。
表の面での問題にも、そういった課題点はあるものの、問題は裏側である。
1929年に第1回アカデミー賞が開催されてから、もうじき100年に迫ろうという状況ではあるが、アカデミー賞が、そもそもどういった賞なのかを知る人は、意外と少ない。
映画賞と一概に言っても、俳優協会のものや、批評家によるもの、最低の映画を決めるラジー賞にいたっては、半分ネタ的な思想が入り混じっている。
アカデミー賞は、映画芸術科学アカデミーの会員(通称「アカデミー会員」)によって投票が行われて、受賞作品や俳優が決まる仕組み。
アカデミー会員の条件は映画界で仕事を一定期間(約10年といわれている)続ける者の中で、更に条件が一致する者に招待状が届く仕組みとなっているが、様々な理由で会員にならない者や、高齢などの理由で抜ける者もいる。
一時期、高齢者と白人男性の割合が多かったことから、白人の老人に好まれるような映画だったら受賞できるなどと皮肉を言われていたこともあった。
2016年には、2年連続で俳優賞のノミネートが全員白人俳優だったことから、「白いアカデミー賞」として批判が高まった。
この批判を受けて、多様性を求めて、アカデミー会員を大幅に増やすことを余儀なくされ、6600人ほどだった会員が2020年の時点では9000人前後といわれている。
これによって、多様性がかなり反映されたことから、第92回アカデミー賞では、韓国映画『パラサイト 半地下の家族』が作品賞を受賞し、女性や非白人のノミネート、受賞がしやすい環境になったということは間違いないのだが、実はこの第92回にも批判があった。
それは作品賞を受賞したというのに、俳優賞にはアジア系がノミネートされていなかったからだ。
そして、今回の第93回ではアジア系へのヘイトクライムも背景にあったことで、さすがに俳優賞にアジア系をノミネートしないと、賞自体の印象が悪いというバイアスが働いたのかもしれないが、『ミナリ』から主演男優賞にスティーヴン・ユァン、助演女優賞にユン・ヨジョンがノミネートされ、ユン・ヨジョンが受賞した。
映画業界の活性化も考慮しての映画賞ということもあって、主要部門は配信系より、コロナ禍でも、なんとか劇場公開した作品に贈られるだろうということは、想像はついたのだが、主演男優賞にノミネートされた『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマンは別格であった。
惜しくも若くして癌の闘病の末、亡くなってしまったこともあり、功績を称えるという風潮からも、ほぼ確定だと言われていた。
助演男優賞にノミネートされて、受賞した『Judas and the Black Messiah(原題) 』のダニエル・カルーヤは、作品を観ると明らかに主演であり、今作での演技は見事。
主演でチャドウィック・ボーズマンと並ばせてしまうのは、可哀そうという配慮から助演に回されたことが推測できる。
となると、チャドウィック・ボーズマンが受賞する風潮であったことは間違いなく、前哨戦でもほとんどチャドウィック・ボーズマンが受賞している。
さらに言えば、例年であれば、最後に作品賞が発表されて幕を閉じるところが、今回は最後に主演男優賞が発表になるという異例の構成であり、発表の前には、チャドウック・ボーズマン含め、亡くなってしまったスターたちの追悼映像が流された。
そこまでの演出をしておいて、受賞したのは『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスという結果に、会場は不穏な空気に包まれ、アンソニー・ホプキンス自身も受賞するとは思っておらず、出席もしていなかった状態で幕を閉じてしまった。
アカデミー賞の作品賞以外は、そのジャンルの同業者会員によって投票される。俳優賞は俳優の会員による投票され、受賞者が決定する仕組みである。
実はここに根本的な問題があるのかもしれない。全体的な会員数は増えたのだろうが、もともと白人俳優の会員率が多いところに追加されただけであり、白人会員は相変わらず多いのだ。
公平な投票だからと言うなら、そうなのかもしれない。もしくは、主演俳優が非白人俳優であった場合、主要部門をどれも白人が受賞していないことになってしまうからかもしない。
正直言って、アカデミー賞は、映画を純粋に作品として評価する場ではない。
政治的駆引き、世相を反映する賞だからこそ、逆に予想が立てやすい賞でもあるし、式の演出自体が物語っている。そういった、周りに渦巻くものを俯瞰で観ることで、あえて楽しむ賞であるのだ。
それをふまえても、問題なのは、14年間も主演賞に黒人俳優の受賞がないことである。
前回受賞したのは、第79回の『ラストキング・オブ・スコットランド』のフォレスト・ウィテカー。第89回では『マ・レイニーのブラックボトム』と同じ原作者の作品『フェンス』でノミネートされていたデンゼル・ワシンシンは受賞を逃した。
言い方は悪いが、黒人が受賞できないことが連続していた状況を変えて、賞のイメージを良くするには、今回はチャドウィック・ボーズマンが受賞するべき、しなければならなかったのだ。
今回の批判を受けて、第94回で黒人俳優が受賞したら、忖度と言われるし、また白人なら再び「白いアカデミー賞」とされてしまうだろう。
アメリカ中がチャドウック・ボーズマン受賞の風潮にあったこともあり、批判を受けないタイミングは今回しかなかったのではないだろうか。
非白人、女性、国籍と多様性を求め、会員数を増やしたことで公平になったとは言っても、それによる偏りがないとも言い切れない部分があるのだ。
風潮に左右されないという点では、公平とも言えるのだが、それが公平なものであるのか、まだまだ白人至上主義が蔓延っているのかが不透明。
白人と男性だらけだった映画賞に新しい風を入れたことによって、あからさまな差別ができないように変化したことは間違いないのだが、それによって隠れた差別意識というのが、逆に浮き彫りにできなくなってしまった部分もある。
明らかにブラックだったものが、グレーになっただけなのかもしれない。
表も裏も課題の多いアカデミー賞を観ると、アメリカという国の現在のあり方が透けて見えてくる。
だからこそアカデミー賞は、おもしろいのだ。
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