作品情報
ドイツの現役弁護士作家フェルディナント・フォン・シーラッハの世界的ベストセラー小説を映画化した社会派サスペンス。新米弁護士カスパー・ライネンは、ある殺人事件の国選弁護人を担当することに。それは、ドイツで30年以上にわたり模範的市民として働いてきた67歳のイタリア人コリーニが、ベルリンのホテルで経済界の大物実業家を殺害した事件で、被害者はライネンの少年時代の恩人だった。調査を続ける中で、ライネンは自身の過去やドイツ史上最大の司法スキャンダル、そして驚くべき真実と向き合うことになる。主人公ライネンを『ピエロがお前を嘲笑う』のエリアス・ムバレク、被告人コリーニを『続・荒野の用心棒』の名優フランコ・ネロが演じる。監督は『クラバート 闇の魔法学校』のマルコ・クロイツパイントナー。
『コリーニ事件』レビュー
ドイツで刑事事件裁判を扱う現役弁護士フェルディナント・フォン・シーラッハによる2011年に発表された、長編小説をベースとして、映画化した作品である。
シーラッハの作品は、実際に自分が扱った事件をベースとした作品を執筆していたが、今作はフィクション作品ではあるが、シーラッハの祖父の存在が影響した作品ともいえるだろう。
フィクションではあるが、実際に存在するドレーアー法の落とし穴や矛盾点、ドイツが抱える戦争による負の遺産などデリケートな部分にメスを入れた作品となっており、国家を揺るがした小説ともいわれているほどだ。
3カ月前に弁護士になったばかりの主人公ライネンが、初めて担当した事件がよりによって、自分の恩人で親代わりでもあったハンス・マイヤーを銃殺したファブリツィオ・コリーニの弁護。ハンスの孫であるヨハナ・マイヤーは昔の彼女、敵は恩師でベテラン弁護士リヒャルト・マッティンガーという単純にドラマとして見ごたえのある設定が目を惹く作品ではある。
原作では、主人公がそれなりの生活レベルが高い設定とされていたが、映画では、庶民的に変更されている。この変更によって、キャラクターに親近感はわくようにはなったのが、失ってしまった部分もある。それは、権力に対抗することでエリートであるライネンがどん底に落ちかねないという、ライネン自身の弁護士生命に対しての危機感が中和されてしまったのだ。
フェルディナント・フォン・シーラッハの作風として、入り口がおもしろく、読者の心をつかむ作品は多いのだが、扱っているテーマが社会において答えが出しづらい、判断を決める側の価値観が大きく影響するものが多いため、結末があやふやな場合がある。
例えば2016年に出版された『テロ』という小説がある。ドイツ上空で旅客機がテロリストによってハイジャックされた。犯人はサッカースタジアムに墜落させることで7万人の観客を殺害しようとしていたのだが、それを緊急発進した空軍少佐が独断で旅客機を撃墜し阻止した。スタジアムの観客7万人は救えたが乗客164人は殺害してしまったことを法廷で裁くという問題作だ。
しかし、この作品には2通りの結末が用意されている。斬新かと思うかもしれないが、これは好き嫌いが別れる部分だと思う。
答えの出ない、読者の概念や価値観で解釈が大きく左右されるような題材のため、最終的に投げかけて逃げてしまうパターンが多いのだ。
今作はその象徴的ともいえる作品と言っていいかもしれない。そのため、今作も悪い意味でもシーラッハ作風が出てしまっていて、結末は納得できない人も多いのではないたろうか。
戦争が終わった今でも、家族や恋人、大切な人を殺された人にとっては、何時までも戦争は終わらない。敵も味方も関係なく、戦争という渦に巻き込まれた人は十字架を背負って生きていくしかないという国が作ってしまった不の遺産を司法としてどう扱うべきかという部分にメスを入れている。
今作に関しては、被害者が殺されてしまっているだけに、コリーニ側の一方的見解が果たして正しいかが不明な部分があるし、コリーニは頑なに口を開こうとはしていなかった点で言うと、これはコリーニ自身が殺人はいけないことだと分かっていて、ハンスにも家族がいるとも知っていて、それでしてしまった自分は裁かれるべきだと思っていたからだと思うのだが、それなら殺害した時点で自決したらよかったと思う。(あくまで結末の展開を考慮すると)
法律の落とし穴を世間に暴露したい、メディアに流してもらいたいという意図であれば、最初からライネンに協力して事実を話したほうがよかっただけに、コリーニの心境が物語に都合よく左右されているような部分が少し引っかかる
本当に殺害してしまったことで動揺していて、どうしていいのかわからなくなってしまったと言われれば…そうかもしれないが…どうしても設定の背景基盤が薄いようにも感じられてしまう。
また、劇中でも少しだけ語られるのだが、戦争というものが残した不の遺産と、戦争という極限の状況下において、逆らえば殺される状況で下した決断に対して、個人を裁くこと自体も正しいのかという問題もある。
2015年の映画『アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発』は、ユダヤ系アメリカ人のスタンレー・ミルグラム博士が「人はなぜ権威へ服従をしてしまうのかある状況下において、人はどこまで非情に残酷になれてしまうのか」という実験をして物議を呼んだ事実を描いたものであった。
シーラッハの祖父は、実はナチ党全国青少年最高指導者バルドゥール・フォン・シーラッハ ということで、ハンスのモデルはシーラッハの祖父そのものの様にも感じられる。戦争が壊した、ハンスの人間性の本質という部分でも、大切に描いてもよかったのではないだろうか。
ドレーアー法、司法の落とし穴の部分にメスを入れた上で、下される決断を映画ならではの解釈で描いてほしかった。
点数 80点
シーラッハ原作作品6選
- ネットもSNSも遮断されたインドの全寮制女子高を舞台に、少女たちは”自分”とは何者なのかに葛藤する!!『女子高生は泣かない』
- 第96回アカデミー賞:映画評論家バフィー吉川の最終受賞予想!事実上『オッペンハイマー』のひとり勝ち状態か?!
- インド音楽界の歴史が動いた!22年ぶりのメジャーガールズユニット”W.i.S.H.”誕生!K-POPに次ぐ世界市場を狙う!!
- この映画語らせて!ズバッと評論!!『マダム・ウェブ』始まらないドラマのプロローグを観ているような感覚になるが、若手女優たちが唯一の救い!!
- 【ちょこっとレビュー】地域復興ムービーとして応援したい気持ちを裏切るほど中途半端な主人公像『レディ加賀』
コメントを書く