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この映画語らせて!ズバッと評論!!『哀愁しんでれら』土屋太鳳が覚醒していく様子を描いているが感情の変化が極端すぎる!!

この映画語らせて!ズバッと評論!!『哀愁しんでれら』土屋太鳳が覚醒していく様子を描いているが感情の変化が極端すぎる!!

作品情報

土屋太鳳が主演を務め、幸せを追い求める真面目な女性が社会を震撼させる凶悪事件を起こす姿を描いたサスペンス。市役所に勤める小春は平凡な毎日を送っていたが、ある夜、不幸に見舞われ全てを失ってしまう。人生を諦めかけた彼女の前に、8歳の娘を男手ひとつで育てる開業医・大悟が現れる。優しく裕福で王子様のような大悟に惹かれた小春は、彼のプロポーズを受け入れ、不幸のどん底から一気に幸せの絶頂へと駆け上がるが……。「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2016」でグランプリを獲得した企画をもとに、『かしこい狗は、吠えずに笑う』の渡部亮平監督がオリジナル脚本で映画化した。

『哀愁しんでれら』レビュー

子どものためなら親はなんでもできる…

子どものためなら世界中を敵に回しても…

母性愛を感じさせる、愛を感じさせるようなワードであり、これまでも様々な映画やドラマに取り入れられてきたが、そんなワードをおもいっきり皮肉った作品である。

「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」は当たりハズレが激しいなだけに、これを受賞した作品の映画化だとしても、あまり期待はできなかったし、 いざ観終わってみると、製作者は、子どもを育てたことがあるのかが疑問でならない。

これはそもそも「シンデレラ」がどうこうというような話ではなく、人間性の崩壊を描いた作品であって、それがシンデレラと繋がってくるかいうと、全くそんなものでしない。

土屋太鳳と田中圭という、今や日本映画の常連俳優をダブルキャスティングしているだけに、娯楽作品に思えるかもしれないが、有名なキャストのカルト映画といったところだ。

題材としていることと、映画的なインパクトは抜群ではあるが、そこに向かうプロセスの描き方が、なかなか雑といえるだろう。

土屋太鳳が演じる小春は、10才の頃に母親が家を出ていってしまったことで、そこから妹や家族の世話などをする、母親代わりとして生きてきたわけで、母親がどうあるべきかということは、わからないにしても、家庭環境の中で、優しい人間性はある程度構築されてきたように思える。

それが、変貌していく様子というが、なかなか急ぎ足過ぎるというか、感情の変化が極端すぎるし、田中圭演じる大悟の異常性を描くにも尺が足らない。

一般常識として、子どもには反抗期というものがあって、唯でさえ気難しい時期というのがあるし、特に再婚の場合となると、スムーズにはいかないことがある。そんな状況に試行錯誤しながら、子供と向き合っていくのが、生みの親、育ての親とか関係なく、親である責任だと思うのだ。

子育てに正解などあるはずもなく、何が正しいか何が間違っているかと判断をつけにくいとはいっても、やっていることはカルト教祖の起こすテロと同じようなもので、子どものことをどんなかたちでも愛してとしたら、事件後の今後の人生を考えると、あまりにも惨いというか、そこまで考えられない精神状態になっているのであれば、そこまでの家庭がもう1、2段階必要である

完全に私たちのある程度の一般的なモラルが完全に崩壊している『悪魔のいけにえ』や『マーダーライド・ショー』のファミリー構造に向かっている感じがしてならないという点から、これはカルト映画枠なのだと気づかされた。

モデルとなった事件があって、それは劇中でも少し触れてはいるのだが、全然テイストが違っていて、犯罪を犯したモデルの夫婦に同情するわけではないが、モデルとかけ離れ過ぎていて、インピレーションを受けたとしても、特定の事件を挙げる必要もなかったのではないだろうか。本人たちはまだしも子どももいたわけだから、配慮が足らない気がしてならない

様々な疑問点や違和感がある映画構築...これは間違いなく、シッチェス映画祭案件だ。

『ゴーストマスター』はあえてそこを目指していたようにも思えるが、最終的にには、すべっていたような感じがしてならない。

「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」は、複数の部門があって、企画や脚本だけでも応募が可能だったりもする。

実際は企画、脚本で受賞しても、次のプレゼンで映画構築技術が求められるため、 全体的なインパクトや画的なおもしろさを先行してしまうかたちで選んでおいて、後から映画として成り立たせていく間に、映画的バランスという壁にぶち当たっているような気がしてならないし、他の受賞作品の映画化作品を観ても、インパクトや設定のおもしろさは抜群でも最終的な着地点があやふやなものが多きがするのは、そういった問題があるからではないだろうか。

「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM」という企画自体の選考過程をもう一度見直す必要性があるのかもしれない。

土屋太鳳、田中圭というブランドによって、それなりの作品に装っておいて、ふたを開けるとシッチェス案件というパッケージ構造自体が幸せそうな家族も蓋を開けてみれば...という俯瞰的皮肉となっているといわれれば、そうではあるが...

点数 70

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