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この映画語らせて!ズバッと評論!!『グリーンランド 地球最後の2日間』娯楽パニック映画なのに人間ドラマを中心にしたらダメ!!

この映画語らせて!ズバッと評論!!『グリーンランド 地球最後の2日間』娯楽パニック映画なのに人間ドラマを中心にしたらダメ!!

作品情報

突如現れた彗星による世界崩壊までの48時間を、普通の一家の目線で描いたディザスタームービー。突如現れた彗星の破片が隕石となり地球に衝突した。さらなる巨大隕石による世界崩壊まで残り48時間に迫る中、政府に選ばれた人々の避難が始まる。建築技師の能力を見込まれたジョン・ギャリティ、そして妻のアリソンと息子のネイサンも避難所を目指して輸送機に駆けつけた。しかし、ネイサンの持病により受け入れを拒否され、家族は離れ離れになってしまう。人々がパニックに陥り、無法地帯と化していく中、生き残る道を探すギャリティ一家が目にしたのは、非常事態下での人間の善と悪だった。『オペラ座の怪人』『エンド・オブ・ホワイトハウス』のジェラルド・バトラー、『デッドプール』『世界一不幸せなボクの初恋』のモリーナ・バッカリン、『ドクター・スリープ』のロジャー・デイル・フロイドがギャリティ一家を演じる。監督は『エンド・オブ・ステイツ』でバトラーとタッグを組んだリック・ローマン・ウォー。

『グリーンランド 地球最後の2日間』レビュー

個人的には、不自然なことが多すぎる『アルマゲドン』が未だに日本においては感動作の代表のように扱われているのが疑問でならない。

10年周期ぐらいでディザスター・ムービーラッシュがくるが、現代のディザスター・ムービーに人間ドラマを入れ込むのは、どうやら難しいみたいだ。

2009年に破壊王ローランド・エメリッヒによって、マヤ文明の人類消滅の予言に基づく『2012』が公開されたが、結局は有力者や富豪しか生き残れないということをストレートに描いていて、かなり酷い内容だったが、破壊描写は見応えのあるものだった。

『アルマゲドン』はもちろん、『2012』や『ザ・コア』『カルフォルニア・ダウン』もそうだが、ここ20年ぐらいのディザスターは娯楽要素が表に出ている。

『ポセイドン・アドベンチャー』『タワーリング・インフェルノ』の頃は何故違っていたかというと、当時としては最先端だったかもしれないが、破壊描写にどうしても限界があった。

そうなると群像劇、つまり人間ドラマをいかに濃厚にしていくかという方向性に向くしかなかったのだ。

それがVFXの進化によって、自由度が増した今では、娯楽性の方が強くなるのは必然だったのかもしれない。

よく予算がないから良い作品が作れないという人がいるが、逆パターンで、予算があるからこそ作れなくなってしまうものもあるということ。

結論として、現代のディザスター・ムービーにおいて、人間ドラマはあくまで微量でよくて、メインで描くジャンルではなくなったのだ。

それを変に人間ドラマ重視にしようとすると、今作のようなものが完成してしまう。その代表的な作品といえるかもしれない。

ローランド・エメリッヒの場合は、微量の人間ドラマの中にも違和感を残すだけに、極端過ぎる部分もあるかもしれないが…皮肉なことに今作は『2012』の反対を目指して失敗した作品にも感じられる。

国民がパニックを起こさないように、抽選か何かで選ばれた(本編では描かれていないため不明)で避難できる人物に通知されるシステムは、『2012』でもあったが、今作が致命的なのは、派手に通知されること。

それによって暴動に発展して、二次被害が発生することを考慮していないアメリカ政府のおバカレベルが『2012』のちぐはぐなアメリカ政府より高いとは…

実は今作のVFXを担当しているのは『2012』『ミッドウェイ』などローランド・エメリッヒの破壊描写を手掛けたPXOMONDによるもの。

『アルマゲドン』の場合で言うと、あんなものが地球に落ちてくるギリギリまで観測できなかったことに、科学者からは理解不能という烙印を押されているのだが、今作も似た部分が大いにあって、また科学者たちの目の敵にされそうでならない。

だからこそ、誇張するだけ誇張して、徹底的に破壊させることで、科学者から指摘があっても、「エンターテイメントですから」「ファンタジーですから」と逃げられるものを、わざわざ自ら不自然さを発信してしまっているようでならない。

徹底的な破壊にこだわって内容が薄い作品であれば、私もそこを指摘するだろう。言っていることがちぐはぐに思えるかもしれないが、どっちに転んでも批判されるジャンルだから仕方ない。

ディザスターもそうだが、ゾンビもの、パンデミックものも同様に常に「一番怖いのは人間」というメッセージ性を強く描こうとしすぎていて、逆に何が主体なのかが失われてしまうことが多い。

はじめは画期的だったかもしれないが、今となっては、それこそがマンネリ状態。大量にあふれる作品の中で、常にトレンドの波を理解し、さらに独自性を強調しなければならない難しい時代ではあるが、そこに手を出したのだから仕方がない。

今作も90年代や2000年代前半の頃であれば、画期的な作品とされていたかもしれないが、現代映画にしては全体的に地味である。生まれてくる時代を間違えた作品だ。

点数 64

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