作品情報
たった一つの小さな残り火が、すべてを燃やし尽くす。幼い頃に母を殺され、人生の全てを奪われた〈キッド〉は、夜な夜な開催される闇のファイトクラブで猿のマスクを被り、〈モンキーマン〉を名乗る“殴られ屋”として生計を立てていた。どん底で苦しみながら生きてきた彼だったが、自分から全てを奪ったヤツらのアジトに潜入する方法を偶然にも見つけるー。何年も押し殺してきた怒りを爆発させたキッドの目的はただ一つ「ヤツらを殺す」。【復讐の化神〈モンキーマン〉】となった彼の、人生をかけた壮絶なる復讐劇が幕を開ける!
『モンキーマン』レビュー
「エンタメネクスト」と「映画秘宝」でレビューを書いたし、別にそっちも思っていたことは書いたけど、今回はちょっと酷評部分を言っておこう。
インド系俳優としては、それなりの地位を確立したデヴ・パテルの初監督作品となったのが今作『モンキーマン』であり、それが配信だけの作品では勿体ない!映画館で上映しよう!!と言ったのがジョーダン・ピールというわけだ。
だから制作段階からジョーダン・ピールが参加していたわではなく、ジョーダン・ピール味などあるわないのだから、それは求めないように。
大まかにはヒンドゥー神話や叙事詩になぞられた内容ではあるが、そこに執着するようなものでもない。日本でインド映画を語っているのが、神話や宗教、文化、あるいは翻訳家たちであるため、そういった部分に目が行きがちにされてしまっているが、今作はもっとシンプル。
そしてこの作品、結論から言うと、パテルの偏見が詰まったちょっと昔のインド映画イメージの払拭を目指した作品である。
演出やアクションシーンなどは、『ザ・レイド』や「ジョン・ウィック」シリーズのスタッフが参加しているため、バイオレンス・アクションとしてのある程度のクオリティは保たれているし、そこに関しては、あまり言うことはない。
インドにおける社会問題というと、人身売買、ドラッグ、警察と政治の癒着、同性愛者やトランジェンダー差別、女性蔑視などなどがあるが、それらをとにかく詰め込んだ、インドのマイナスイメージMAXな架空のダークシティインドが舞台となっている。
パテルいわくアジアン・バイオレンス・アクションとインド映画をミックスしたようなもの~みたいなことを言っているわけで、そのなかでシャー・ルク・カーンのアクション映画を例として出しているのだが、このシャー・ルク・カーンのアクション映画というのが何のことはわからない。若い頃に観ていたと言っているし、そもそもシャー・ルクってアクション映画にそんなに出演していないから、おそらく『ラ・ワン』か「ドン」シリーズあたりの2000年代後半~10年代前半頃だろう。近年の『ジャワーン』や『Pathaan/パターン』ではない。
パテル言っているのは、シャー・ルクのアクション映画ではできないような血みどろバイオレンス作品に仕上げた~みたいなニュアンスだと解釈するが、それだと最先端を行っているとは到底言えない。
おそらく近年のインド映画は観ていないのだろう。根本的にインドエンタメに対するイメージが少し前なのだ。
つまりインドでは扱えないような負のイメージを全開にして、それを、これまたインドではできないバイオレンスアクションで突き崩していく~というコンセプトのもとに作られているのだが、そのイメージ自体が時代遅れなのだから、「新しいものを観た!!」という感覚にはあまりならない。
ただ、普段インド映画を観ない客層が、インドバイオレンスに注目するようなフックとなっていることは間違いなく、それは純粋にありがたいことだ。
『スラムドッグ$ミリオネア』はイギリス映画であって、インド映画と未だに誤解されてはいるが、それによってインドエンタメが注目されたのは紛れもない事実。
そしてそのイメージの間違った部分をインド国内、例えば『マイネーム・イズ・ハーン』でカラン・ジョーハルが「良くも悪くも『スラムドック$ミリオネア』でインド映画が注目されたが、同時にステレオタイプも拡散されてしまった。それを突き崩していくのは、インド側だ」みたいなことを言っていたが、『モンキーマン』に刺激されて「インドはもっとやれる!もっと血みどろだ!」みたいな起爆剤となってくれることが何よりの理想だ。
点数 80
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