作品情報
同棲中の恋人ピーターとはマンネリ気味。父は亡くなり、過保護な母は毎日連絡をして来る。そんな平凡な毎日を過ごすサラだったが、ある日突然悲劇が訪れる。密かに体を蝕んでいた病魔により、余命が残り僅かだというのだ。茫然自失となるサラに、医師から「リプレイスメント(継承者)」のカタログが手渡される。それは、間もなく死を迎える者が、遺族を癒すために自らのクローンを作り出すというプログラム。サラは「リプレイスメント」を決断し、残された時間をクローンとの引継ぎに充てる。目の前でピーターや母と親しくなっていくクローンの姿に寂しさを覚える中、サラの病が奇跡的に完治したという報せが入る―。
『デュアル』レビュー
オリジナルとクローンが対決する映画というのは、『アイランド』『ジェミニマン』などがあるし、今作も対決することがベースにあるような物語ではあるものの、アクション映画ではない。
ウド・キアーの『スワンソング』ではなくて、マハーシャラ・アリのApple TV+映画の『スワン・ソング』に少し似ているが、余命宣告された主人公が、自分は死なないとわかってからの人生観の変化は、なかなか見応えのあるものとなっている。
ポスターのアクション映画ルックにはまんまと騙された!最近、アクション映画のイメージが定着してきたカレン・ギランだからこそのイメージ操作が見事だ。
クローンという題材であることから、どうしてもSFという印象が強くなるのは仕方ないのだが、似たような状況には、実際になり得る場合がある。
例えば余命が半年と宣告されて、悔いが残らないように全財産をかけて世界旅行したのに、その診断が間違いで、死なない、もしくはもっと長く生きられるとなった場合の残りの人生をどうするべきかという状況の場合である。
生きられることは嬉しいことではあるし、生きたいとは願っていることに間違いはないのだが、極限の精神状況から身辺整理に気持ちを切り替えて、また戻されるのも、また難しい心境である。
今作においては、そうなった場合は、クローンは破棄されるのだが、クローン自信にも人権があるため、クローンも生きる意志を示した場合は、1年後に決闘で決めるというのがおバカ設定がある。
あバカではあるものの、そこに至るまでの葛藤や、記憶もコピーされているため、自分そのものなのに人生が奪われてしまうような喪失感は、まさに『スホン・ソング』に通じるものがあり、なかなか哲学的な物語でもある。
誰かを殺してまで生きる意味がある世界なのか…….。といった、人間、そして自分が生きる意味についても改めて考える場が与えられた主人公、そしてクローンと芽生え始める友情なのか、情なのかが重なりあって、全く想像していなかった上質な人間ドラマを構築している。そして誰かを殺してというのが、今作においては”自分を殺して生きること”というダブル・ミーニングになっているのが深い。
1年後の決闘に向けて殺しのトレーニングをする姿は、なかなかシュールでコミカルな部分も多いが、そういった緊張感の抜ける部分も多くある作品だからこそ、現実的ではないのに、現実的だと思わせる要素が散らばっているのだ。
点数 87
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