ラジオ番組「バフィーの映画な話」Spotifyなどで毎週配信中!!

この映画語らせて!ズバッと評論!!『破戒』人間はなぜ差別をするのか……改めて考える機会を与えてくれる作品だ!!

この映画語らせて!ズバッと評論!!『破戒』人間はなぜ差別をするのか……改めて考える機会を与えてくれる作品だ!!

作品情報

瀬川丑松は、自分が被差別部落出身ということを隠して、地元を離れ、ある小学校の教員として奉職する。彼は、その出自を隠し通すよう、亡くなった父からの強い戒めを受けていた。彼は生徒に慕われる良い教師だったが、出自を隠していることに悩み、また、差別の現状を体験することで心を乱しつつも、下宿先の士族出身の女性・志保との恋に心を焦がしていた。友人の同僚教師・銀之助の支えはあったが、学校では丑松の出自についての疑念も抱かれ始め、丑松の立場は危ういものになっていく。苦しみのなか丑松は、被差別部落出身の思想家・猪子蓮太郎に傾倒していく。猪子宛に手紙を書いたところ、思いがけず猪子と対面する機会を得るが、丑松は猪子にすら、自分の出自を告白することができなかった。そんな中、猪子の演説会が開かれる。丑松は、「人間はみな等しく尊厳をもつものだ」という猪子の言葉に強い感動を覚えるが、猪子は演説後、政敵の放った暴漢に襲われる。この事件がきっかけとなり、丑松はある決意を胸に、教え子たちが待つ最後の教壇へ立とうとする……。

『破戒』レビュー

今までにも映画やドラマとして、何度か映像化されてきた名作「破戒」が60年ぶりに映画化。1世紀以上前の原作でありながら、「破戒」の中で描かれる人間の愚かさや弱さは、未だに変わっていない。

インドにおけるアウト・カースト(カーストにも属さない)のような、身分による差別がかつての日本にはあった。それはえた・非人と呼ばれるものだ。時代は変化し続け、新たな文化や価値観が世界を変え、日本も変わっていく中で、四民平等、人間は同じ存在であると言いながらも、えたの人々は差別を受け続けた。

石を投げられ、塩をまかれ、人間ではない汚らわしいもののように扱われていたのだ。今作の冒頭や全編にわたっても、そういった描写がされている。

平等であるはずではないのか……。平等とは言いながらも、その平等からは外れたものを差別する。そんなものは平等ではない。つまりこの世界には平等なんてものは存在していないのだ。

主人公の瀬川丑松 は、えたであることを隠し教員の職業についているが、生徒たちには差別のない未来を築いて欲しいと心から願っている。しかし、自身がえたであることを隠し通さなければならないという、信念との矛盾に葛藤する日々が描かれながら、脳裏から離れないのは、父の身分を隠せという言葉だった。

ことあるこどに、その父の言葉が蘇ってくる演出が、少し『タイガーマスク』の「虎だ、お前は虎になるのだ」みたいで、やりすぎな演出にも思えるものの、それほど、身分を明かす恐れと事実を隠すもどかしさが瀬川を悩ませていた。

そんな中で東京から赴任してきた新たな教師・勝野が波風を立てる。この勝野という男は、新たな文化に寛容であり、女性の社会進出を後押しするようなリベラル的な思想を持っていると表では思わせておいて、実は差別主義者である。女性差別はないのかもしれないが、別の差別意識は持っているのだ。 しかも厄介なことに、この勝野という人物は一般的に見て、非常に多い人物像なのである。

人間が差別をするのは、愚かであると同時に、弱いからである。自分と違う存在を恐れているのだ。ひとつの差別がなくなっても、また別の差別が生まれる。 そしてそれを認識していないのも問題なのだ。

そんな人間が差別を繰り返すサイクルというのは、無くなるものではない。「差別など絶対無くせる、人類は平等だ」なんて言うのは偽善でしかない。しかし、立ち止まって、改めて考えてみることは誰にでもできるはずだ。

そんな一度立ち止まる機会を与えてくれるのが今作であるといえるだろう。舞台設定は確かに古いが、人間が差別をしてしまう構造というのは、昔も今も、外見上の形やきっかけが違うだけであって、全くであるのだから。

点数 83

この映画語らせて!ズバッと評論!!カテゴリの最新記事