作品情報
これは本当に映画だろうか、これは現実そのものではないか―。娯楽を求めて再生ボタンを押した観客の多くがこう自問自答したという静かな衝撃作品『グレート・インディアン・キッチン』。コロナ禍のため映画館が休館していた2021年1月のインド。多くの新作映画が配信公開に踏み切り、本作も地域言語専門の配信サービスでひっそり公開された。一部のシーンがセンシティブな宗教問題に触れていたため、炎上を恐れた大手配信会社には拒絶されたからだ。だが、配信が始まるとSNS上には作品への共感があふれ、徐々に大きな旋風となっていった。反響を受けて配信大手アマゾン・プライムビデオがインド国内外に向け配信を開始すると、BBCでは「家父長制の暗部を見事に切り取り、日々の暮らしに潜むおぞましさに光を当てた作品」と大きく紹介された。舞台のケーララ州は識字率の高さで知られ、女性の社会進出も進み、後進的な地域ではない。だがジヨー監督は、「彼女の苦悩は全インド人女性のものだ」と、本作のテーマの普遍性を語る。家事労働と権力にまつわるジェンダー間のアンバランスの問題を、本作は歴史ある邸宅の薄暗いキッチンから社会に問いかける。
『グレート・インディアン・キッチン』レビュー

今作は、いわゆる「モリウッド」映画である。『ジャリカットゥ 牛の怒り』や第34回東京国際映画祭で上映された『チュルリ』と同じく、南インドにあるケーララ州が舞台となり、マラヤーラム語映画のことだ。
南インドの保守的な家庭の物語であり、実際にケーララ州ならではの宗教的概念や、女性蔑視は色濃く反映されているものの、今作で描かれている「家庭」「キッチン」という名の呪縛の中で苦しむ女性の姿は、何もインドに限ったことではない。
韓国や日本の映画でも嫁姑問題として、散々ネタにされ続けている普遍的な、どこにでもある物語。だからこそ、今作には主人公夫婦には名前が付けられていない。
ひとりの人間として評価されるのではなく、どれだけ働くか、主人や家族のために尽くすことができるのか……といった、まるで召使いや奴隷のような生活であるというのに、それが当たり前だと思うしかない環境。生ごみや水道の汚水が溜まっていくように、妻の不満も溜まっていく。
一方でそういった、揺るぎない概念において、ある流れが少し事情を変えようとしている。それはネットの普及による、デジタル化の波だ。
急激なデジタル化、グローバル化の波というのは、南インドも例外ではなく、原始的な風景の中にも、スマホを欠かせない状況が出来上がってしまっている。今作の中でも老人がスマホで動画を視聴している。
主人公が勇気を出して、自分を主張しようとするきっかけも、実はネットからの情報によるものだったりする。
これは伝統や風習という側面からは、悪いことのように感じられるかもしれないし、実際に間違った感情を芽生えさせてしまう危険性も秘めている。
しかし、世界を知ることで、自分の選択肢の幅が広がるという意味では、良い点も多いと、改めて気づかされる。特に極端に文明が乗り遅れているような地方や村の人々の変化には、かなりの説得力があるといえるだろう。
何よりこれを映画として製作したこと自体に意味がある。今作で描かれている問題が、そもそも一般的で当たり前のこととして、捉え続けているのだとしたら、今作は誕生していない。
今作で問題定義できているということは、ケーララ州の人々が、女性の権利について、徐々に気づきはじめているという証拠なのだ。
点数 86

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