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この映画語らせて!ズバッと評論!!『Mank マンク』脚本家マンクの視点から描かれる「市民ケーン」誕生秘話!!

この映画語らせて!ズバッと評論!!『Mank マンク』脚本家マンクの視点から描かれる「市民ケーン」誕生秘話!!

作品情報

『ソーシャル・ネットワーク』『ゴーン・ガール』の鬼才デビッド・フィンチャーがメガホンをとり、『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』『死霊船 メアリー号の呪い』のゲイリー・オールドマンが、不朽の名作『市民ケーン』の脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを演じたNetflixオリジナル映画。フィンチャー監督の父ジャック・フィンチャーの遺稿を映画化した。1930年代のハリウッド。脚本家マンクはアルコール依存症に苦しみながら、新たな脚本「市民ケーン」の仕上げに追われていた。同作へのオマージュも散りばめつつ、機知と風刺に富んだマンクの視点から、名作誕生の壮絶な舞台裏と、ハリウッド黄金期の光と影を描き出す。『マンマ・ミーア!』『弱虫スクービーの大冒険』のアマンダ・セイフライド、『テッド・バンディ』『あと1センチの恋』のリリー・コリンズ、『ゲーム・オブ・スローンズ』のチャールズ・ダンスら豪華キャストが個性豊かな登場人物たちを演じる。第93回アカデミー賞では作品、監督、主演男優、助演女優など同年度最多の計10部門ノミネートを果たす。

『Mank マンク』レビュー

ラジオドラマ「宇宙戦争」で一躍有名になったオーソン・ウェルズの初監督作品として映画史に残る傑作であり、当時としては画期的な演出や撮影方法が今も語り継がれる『市民ケーン』の共同脚本家として知られ、第14回アカデミー賞では脚本賞を受賞したハーマン・J・マンキーウィッツ(通称マンク)が『市民ケーン』の脚本を書き上げるまでを描く物語。

今までにもマンクによる『市民ケーン』の脚本をめぐる物語というのは、『ザ・ディレクター「市民ケーン」の真実』(1998)などでも描かれてきたことではあるが、時代と共に新たに発見された事実を更に織り交ぜながら、1930~40年代のハリウッド、映画業界で起きていたことをマンクの目線で描き出したのだ。

『市民ケーン』の主人公チャールズ・フォスター・ケーンには、明確なモデルがいる。それは、メディア王といわれたウィリアム・ランドルフ・ハースト。

当時、新聞は勿論、ラジオ、映画、芸能、政治…と絶対的な影響力をもっていたのがハーストである。

情報を得る唯一の手段であった新聞というものが、事実さえも捻じ曲げてしまう力を持っていた時代。特に映画業界にとって、広告の大きな手段であった新聞には頭が上がらない状態であった。その影響力というのは、情報操作によって、米西戦争を勃発させたほどだ。

そんなハーストの存命中に、誰がどう観てもハーストと周辺の人物、特に愛人であったマリオン・デイヴィスをモデルとした物語と、わかってしまうほど詳細に描写した『市民ケーン』を世に出してしまったことから、当然ながら、ハーストから目をつけられてしまう。政治的圧力によって上映できる映画館は限られ、その影響というのは、公平に審査されると思われていたアカデミー賞にまで至った。

このことによって、アカデミー賞は作品としての質よりも、政治的駆け引きが必要な賞であるという風潮となってしまったことから、アカデミー賞の歴史としては汚点となり、今でもその疑惑というのは、ぬぐい切れていない。

『市民ケーン』も映画史に残る名作ではあるが、その裏で起きていたことも映画に負けないほどドラマチックなものだったのだ。

ある程度の下調べが必要となる作品でもあり、史実と様々な諸説によって、結果的に不確定な部分をフィンチャー独自の解釈と結論のリミックスとされながら、古典映画ファンとしては、映画会社や俳優、製作者たちの関係性を見るという楽しみ方もでき、『市民ケーン』やオーソン・ウェルズを知らない人にとっても、当時の映画業界の構造や何がメディア業界を支配していたかを知る作品としてなど、様々な角度から観ることのできる作品に仕上がっていて、何度観ても新たな発見ができる。

Netflixは、オリジナル作品の第1弾であった『ハウス・オブ・カード 野望の階段』を制作すべく、デヴィッド・フィンチャーを口説き落として以来、『マインドハンター』でも引き続き製作と一部エピソードの監督を任せていたが、長編映画としては、今回が初めてであり、ついにNetflixが長年望んできたものが完成したのだ。

フィンチャーにとっても、父であるジャック・フィンチャーの脚本を映像化できたことは意義のあったことであり、相思相愛のもとに制作された作品でもある。

映画業界の常識を覆し続け、その中で批判も受けるNetflixではあるが、古典的映画自体を甘んじてはいない。むしろクラシック作品に関してはリスペクトしているのだ。

その中でライアン・マーフィのプロデュースによる『ハリウッド』もそうであったように、映画業界の過去を新しい物語として、現代にアップデートすることで、新しい世代にも古典映画の魅力というのを伝えようと試みているのだ。

Netflixはジーナ・キーティングの著書「NETFLIX コンテンツ帝国の野望 GAFAを超える最強IT企業」やドキュメンタリー映画『NETFLIX 世界征服の野望』(2019)でも語られている通り、もともと、郵便DVDレンタルから事業展開していった企業であるのだが、その中で作品選びというのは、実はアナログな方法で、スタッフ自らが質の高い作品を選別してラインナップに加えていたことがルーツとなっていて、オリジナル作品を製作することになった際も、初めにファミリー向けや娯楽作品を手掛ける監督ではなく、デヴィッド・フィンチャーという人物に声をかけたという点が物語っている。

フィンチャー自身も、回想を交えながら人物像を描き出すという基盤をつくった『市民ケーン』の影響を大きく受けた監督でもあり、『ソーシャル・ネットワーク』(2010)でもその手法を取り入れていることでも知られている。

その手法というのは、今作でも取り入れられていて、『市民ケーン』の脚本をめぐる物語を『市民ケーン』の手法で描くというメタ構造ともなっているのだ。

映画監督や脚本家の意思が反映されやすく、比較的自由度の高いNetflixと、映画業界を敵に回しても質の高い作品を制作したいという、当時のマンクとオーソン・ウェルズの挑戦的思考がリンクしていることも注目すべき点である。

Netflixは『オーソン・ウェルズが遺したもの』というドキュメンタリーも制作していることからも、今おかれている自分たちの立場が似ていると前々から感じていたのだろう。

Netflixとフィンチャーは、2020年から更に4年の独占契約をすでに締結しており、次の一手が気になるところである。

点数 81

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