作品情報
『悪人』『怒り』など数々の著作が映画化されてきたベストセラー作家・吉田修一の短編集「犯罪小説集」を、『64 ロクヨン』の瀬々敬久監督が映画化。綾野剛、杉咲花、佐藤浩市ら豪華キャストが集結し、犯罪をめぐる喪失と再生を描き出す。ある夏の日、青田に囲まれたY字路で少女誘拐事件が起こる。事件は解決されないまま、直前まで被害者と一緒にいた親友・紡は心に深い傷を負う。それから12年後、かつてと同じY字路で再び少女が行方不明になり、町営住宅で暮らす孤独な男・豪士が犯人として疑われる。追い詰められた豪士は街へと逃れ、そこである行動に出る。さらに1年後、Y字路に続く限界集落で愛犬と暮らす養蜂家の善次郎は、村おこし事業を巡る話のこじれから村八分にされてしまう。追い込まれた善次郎は、ある事件を起こす。
『楽園』レビュー
3人のキャラクターが求めたそれぞれの「楽園」
ネタバレなしだとレビューが難しいため、ネタバレ注意!!
母親と共に移民としてやって来た豪士、都会の暮らしに疲れ、田舎に妻と移住してきた善次郎、友達だったあいかちゃんが行方不明になってしまったことで罪悪感を抱えて東京に居場所を求めて上京した紡
3人のキャラクターのそれぞれの視点で描かれる、それぞれの求めた「楽園」とは…
楽園=救いとか楽園=安住の地とか…おそらく明確な「楽園」に対する解釈は用意されておらず、この映画のタイトルの「楽園」とは何のことを指しているのか…それ自体がこの映画のテーマでこの映画における何が「楽園」なんてことにそもそも正解はないのだろうと思う。
だから、それぞれの「楽園」を求めていた3人の末路を描いていると個人的に解釈した。
唯一、紡には未来に希望をもたせることで、人生という不条理さを受け入れて生きることで「楽園」を見つけることができるかもしれないというメッセージにもとらえられた。
ただ、広呂が紡に対して「おまえだけの「楽園」を作れ」と言ったのはミスリードの様で不自然すぎるから、あえて言葉に出す意味はなかったと思うし、あのセリフによって少し幻滅させられるし、「楽園」の解釈をよりわかりにくくさせている。
あくまでこれは個人的な解釈のもとに言っているだけなので、あのセリフが必要な意味がもしかしたらあるのかもしれない。
豪士のパートはもっと描くべきだった
それぞれの「楽園」とするのであれば、綾野剛が演じている豪士という存在をもっと細かく描いた方がよかったと思う。
移民でやって来たっていう部分をもう少し掘り下げて「ここなら安全で平和な国だから」という希望からのギャップによる絶望、自分はひとりぼっちという孤立感、未来が見えない恐怖…そんな中で触れたはじめての優しさにどう対応していいのかわからず、殺してしまったのだと思う。
映画では誰が犯人ということを、あえて描いておらず、物語の着地点がそこではないし、犯人が誰かはわからないままでいいにしても豪士というキャラクターに重みを持たせるには描いた方がよかったし、仮に犯人ではなかったとしても、幸せな環境から移民でくるなんてことはないだろうから、移民としてくる前の悲惨な状況は描くべきだった。
はじめてひとりぼっちではないと感じた相手にどう接していいのかわからないというのであれば、変に優しくされていたら紡も殺されていたのかもしれない。
どことなく素っ気ないけれども、嫌われてはいないという安心感、そして小銭入れがつながりを感じられるアイテムだとしたら、急に泣き出した豪士の心境にも納得がいく。
善次郎の場合は、最後の結末に至るまでの壊れていく様子がじっくりと描かれていただけに、ちょっと温度差が出てしまっている。ただ、豪士を犯人と確定させないために意図的にあえて描かないことで、不確定要素としたのであれば違ってくるのだが、あくまで私の解釈が正しいとした場合は、善次郎を描いているのだから、もっとじっくり描いてほしかったというのが個人的意見だ。
田舎というフィールドがもたらす独特の恐怖感
同時に田舎の怖さも描いていて、3人の登場人物に共通して伝わってくるのは田舎の恐怖。
昨日まで仲良くしていたはずが、ある些細なことをきっかけに孤立してしまう。
『悪魔のいけにえ』や『ヒルズ・ハブ・アイズ』『クライモリ』などでも田舎の恐怖感を描いたホラーは昔から多く存在しているが、『八墓村』みたいに日本の田舎の恐怖はまた独特のものだ。
柄本明のテンションが怖い!
メインは3人のキャラクターだが、4人目として描かれるのは柄本明演じる藤木五郎。
気持ちはわかるんだけど...怒りの先が違うでしょ!!って言いたくなるし、紡が可哀そうになるほど攻められていて、嫌になるキャラクターでなかなか存在が怖いし、紡にとってはトラウマ要素のひとつだが、五郎の「楽園」は=「救い」なのだろう。
犯人を特定してしまうと豪士が犯人だと決めつけて、解決できたと思っていたことがまた迷宮入りしてしまい、救いが得られない…ということであえて犯人は描かなかったのだろう。そのため、五郎の「楽園」のあやふや感を引き立たせている。 犯人を描かなかったことはその点ではよかったと思う。
ただ、あいかちゃんの父親がこのテンションなら理解できるのだが、父親を通り越して祖父がこのテンションというのは、父親が落ち着きすぎている分、不自然になってしまっているだけに、4人目を祖父にするのであれば「あの時止めていれば行方不明にならずに済んだ」的な何かしら父親以上に執着するテンションの温度差は違和感なく表現できたのではないだろうか。
点数 74点
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