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この映画語らせて!ズバッと評論!!『Swallow スワロウ』人によって自己表現は違うが、彼女にとっては異物を飲み込むことだっただけなのかもしれない…

この映画語らせて!ズバッと評論!!『Swallow スワロウ』人によって自己表現は違うが、彼女にとっては異物を飲み込むことだっただけなのかもしれない…

作品情報

『ガール・オン・ザ・トレイン』『ヒルビリー・エレジー 郷愁の哀歌』のヘイリー・ベネットが異物を飲み込むことで自分を取り戻していく主婦を演じるスリラー。ニューヨーク郊外の邸宅で、誰もがうらやむような暮らしを手に入れたハンター。しかし、まともに話を聞いてくれない夫や、彼女を蔑ろにする義父母の存在など、彼女を取り巻く日常は孤独で息苦しいものだった。そんな中、ハンターの妊娠が発覚し、夫と義父母は待望の第一子に歓喜の声をあげるが、ハンターの孤独はこれまで以上に深くなっていった。ある日、ふとしたことからガラス玉を飲み込みたいという衝動にかられたハンターは、ガラス玉を口に入れて飲み込んでしまう。そこでハンターが痛みとともに感じたのは、得も言われぬ充足感と快楽だった。異物を飲み込むことに多幸感を抱くようになったハンターは、さらなる危険なものを飲み込みたい欲望にかられていく。

『Swallow スワロウ』レビュー

2020年に公開された韓国映画で『82年生まれ、キム・ジヨン』という作品があったが、大まかには少し似ているところのある作品だった。

お金持ちの家系に嫁いで、家は広いし、プールもあって、不自由がない。主婦として、ただ家事をして夫の帰りを待つ毎日。

これは幸せなのだろうか…

生活環境としては、満たされているはずなのに心が満たされない。
あくまで夫の「妻」としてしか扱われていない事実が突き刺さる。

結婚前も何となく生きてきたが、抑圧された環境下では、より自分が何者であるかを知りたくなる。

暇な時間を利用して、結婚前に興味のあったデザイン系の「何か」をしたいと、絵を描いたり、インテリアを考えたり…ただ、漠然としていて、それが何かが変わるわけもないことは知っていながらも、かすかな自分の証を求めている。

夢を追いかけていた絶頂期に、仕事を捨てたということではなくて、結婚前も漠然とした日々を過ごしていて、自分には才能がないことも気づいていた。その平坦な日々の変化として結婚を選んだように思える。その時は、ハンター自身も結婚を望んでいて、何かに安心感を求めていたのかもしれない。

しかし、その安定感によって、抑圧されることで、才能がないと諦めていた「デザイン」という漠然とした何かをしたくなってくる。

個人的な観点から言うと、窓を3色にしてみたり、悪趣味な金屏風を配置しているところを見ると、才能はたしかにないと思われる。

才能があるか、ないかという問題ではなく、抑圧された環境下に不自由を感じる人間の本能、無い物ねだりということなのだ。

人間は、時間がないことで、あえて考えないようにしていることというのが多くある。その象徴として戦場に行った経験のある看護師?が登場し、「考える時間などなかった」というセリフが物語っているように、時間を与えられていまうと、考えてしまう。

自分の人生はこれで良いのだろうか…家族との関係性はこれでいいのか…とか、答えがあるようでないものを追求してしまう。時間が限られていて、考える余地も与えないというのも、余計なことを考えてしまう人間にとっては、それはそれで良いのかもしれない部分もある。

そんな時に妊娠したことで、彼女を子どもいう、更にその環境から離れられなくなる呪縛を背負うことになり、思わず涙を流す。そもそも離れるつもりはなかったのかもしれないけど、離れられないと知ること自体が抑制である。
このまま、自分は家の一部として生きるしかないのか…また有り余る時間の中で考えてしまう。

そこでハンターが自分が生きているという証や達成感、幸福感、偽りかもしれないけど、それらを感じられる手段を見つけてしまう。それが「Swallow」(飲み込む)ということだったのだ。

異物を飲み込むことで達成感や幸福感、生きていることを再確認できる。

何で達成感や幸福感を味わうかなんて、人それぞれであり、劇中でもハグによって安心感を得ようとする男性が登場するように、ハンターはたまたま異物を飲み込むことだったかもしれないし、思考や行為としては、ハグの男性と何も変わりないのかもしれないが、人体に危険が及び、周りからは異常に感じられるものであれば、バックボーン、家族関係や出生のルーツまでを辿り、それを異常な行動と関連づけてしまう。実はそんなことは後付けであって、関係はないのかもしれない。

自分の唯一の「生きている証」を抑圧され、自由を奪われた人間がその場から逃げ出そうということは、不自然なことではない。人が人をどう見ているか、社会的概念の中での人間のあり方、女性のあり方、母になる者のあり方など、この世界のあらゆる規制や概念が一気に押し寄せてく。

ジャンルとしては、サスペンスやスリラーではあるのだが、異物を飲み込んだ後にウキウキしている様子など、コミカルに感じられるシーンもあったりする。

エスカレートしていくことで精神的も身体的にも崩壊していく、恐怖と緊張感。また、それもひっくるめての快感という、ど変態領域に足を踏み入れいるという観方もできるなど、様々なメッセージ性を感じる作品である。

観ている私たちも、肉付けして、色々考えてしまうが、単純に変わった癖のある女性を描いているだけなのかもしれない。

実は私たちの思考構造自体を利用されていて、それこそが今作の目的であるようにも感じられる。

監督のカーロ・ミラベラ=デイヴィスは、自身の祖母が強迫性障害により手洗いを繰り返すようになったというエピソードから今作を思い立ったとあるが、これはその祖母自体をベースとしているのではなく、監督や周りの目線から作り出したイメージというものを俯瞰としてみせているのではないだろうか。

この手の作品でパンフレットがないというのは、どうなっているのだろうか。ソフト化の際のコメンタリーやメイキングに期待するしかないが、パンフレットのあり方って何だろうか。ネット社会の現代で、ただネットにあるようなスチール写真を並べているだけの価値もないパンフレットが溢れている中で、最も必要とされるような作品のパンフレットが存在していないというのは残念でならない。

点数 89

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